酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

文学研究という不幸

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

駅の書店で思わず手にとって、購入したのですが、現在の「文学部」が抱える苦悩が凝縮されたような本ですね。

著者は「文学」を不幸と呼んでいるのではなく、「文学研究」を不幸だと言っているのですが、これは文学を研究することの意味が見失われつつあることを意味しているのでしょうか。確かに主要な古典はあらかた研究されつくされて、基礎工事は終わってしまっているとすれば、やりにくくなって来ていることは想像できます。

(54ページ)「しかし、世は九〇年代を迎えて、もう文藝評論はおろか、文学研究など不要だと思われるようになったのである。もちろん、多くの文学研究者はサブカルチャー研究に転向して延命を図っている」という記述が全てを物語っているのかもしれません。

こうした流れを受けてか、地方大学の文学部がメディア学部という名前に替ったりするする傾向が続いていますが、こうした動きを著者は「弥縫策」と述べて切り捨てています。私が大学を受験する年*1にも既に文学部は「女の子のお嫁入り道具」として考えられていた傾向もありました。
いまはそうした「意義」すら見失われて、よくわからない社会の「トレンド(?)」に沿った厚化粧を施さなければいけない段階に来ているのでしょうか。

内容は興味深いのですが、それでも途中延々と日本の古い文学者のゴシップが並んでいるのには少々閉口しました。
多少なりとも「文学」という響きに郷愁を憶える私には、読んだ後寂しさの残る本でもありました。しかし郷愁を憶えるという時点で既に「過去」を意味しているのかもしれませんね。

*1:およそ30年前