
「AIで訳せば済む」は半分正しい
「翻訳なんて、もうAIでできるでしょう」。最近、そう言われることが増えました。半分は、その通りです。
私は海外のビジネス記事やテクノロジー記事を日本語に訳す仕事もしていて、いまは毎日、AIに一次訳を作ってもらっています。速さも正確さも、数年前の機械翻訳とは比べものになりません。固有名詞の表記を調べたり、数字を出典と突き合わせたりする作業まで、AIは手伝ってくれます。
それでも、AIの訳をそのまま世に出すことはありません。最近ある記事を訳したときのことが、その理由をよく表していたので、紹介させてください。
一文ずつは正しいのに、読みにくい
その記事は、ある元政治家の発言を手がかりに、米中の技術対立を論じた論説でした。英文は丁寧に書かれていて、記事に出てくる数字も、出典のリンク先とすべて一致していました。
AIの一次訳にも、誤訳と呼べるものはほとんどありませんでした。一文ずつ英文と突き合わせれば、どれも正しく訳されています。
ところが、通して読むと引っかかるのです。「これだけ読むと唐突な感じがする」「この部分、なんとなく読みにくい」「この言葉の中身は何?」。訳文を読みながら私が書き込んだメモは、どれも誤りの指摘ではなく、こうした違和感でした。
正体は、英語の書き手が読者に任せている「行間」
違和感の原因をたどると、多くは英語の書き方そのものにありました。論説調の英語は、つながりの一部を読者に補ってもらう前提で書かれています。そのまま日本語にすると、補うための手がかりが抜け落ちてしまうのです。
たとえば、次のような書き方です(例は、実際の記事の書き方を簡略にしたものです)。
- 指す先を書かない。 二つの発言を紹介したあと、英語は「最初のほうについては」とだけ書いて先へ進みます。そのまま「一つ目については」と訳すと、読者は「一つ目って、どれだっけ」と前に戻ることになります。
- 決めぜりふで段落を閉じる。 「解決した問題ではなく、成熟しつつある市場だ」のような短い対句で締めるのは、英語では切れのある書き方です。直訳すると、何が何について言われているのかがぼやけます。
- 理由を言わずにつなぐ。 「輸出規制が特許政策に似てきた」と書いて、どこが似ているのかは説明しない。英語の読者は業界の常識で補えますが、日本の一般の読者には補う材料がありません。
どれも、英語としては誤りではありません。むしろ、うまい書き方です。問題は、日本語に移すときに、読者が補っていた部分を誰かが書き足さなければならないことです。
AIは行間を、自信をもって埋める
では、AIには行間を埋められないのかというと、そうではありません。むしろ得意です。指す先を補い、決めぜりふを平易な言い方に開き、省かれた理由を一言添える。頼めば、そうした手直しの案をいくつも出してくれます。
ただし、AIは埋め方を間違えることがあります。しかも、間違えるときも自信をもって書きます。
この記事の終盤には、「二つの発言に共通する発想」を一言でまとめた一文がありました。AIはそこに、わかりやすくするための説明を補いました。読むと筋が通っているように見えます。
けれども、その説明は、記事が挙げた二つの例のうち、片方にしか当てはまっていませんでした。「もう一つの話は、そういう話ではないのでは?」と気づいたのは、通して読んだ人間のほうでした。
人がするのは、誤訳探しではなく「違和感」を拾うこと
この経験から見えてきたのは、次のような役割分担です。
- 人が通して読み、違和感を指摘する(「唐突」「読みにくい」「これは何のこと?」)。
- AIが原因を言い当て、直し方の案を出す。
- 人が案を採るか、さらに直すかを決める。
違和感の指摘は、ぼんやりしていてかまいません。「なんとなく読みにくい」の一言から、AIは「指す先が書かれていない」「同じ言葉が二度重なっている」といった原因を探し当ててくれます。
逆に、どの案を採るか、どこまで書き足してよいかは、記事に責任を持つ人が決めるしかありません。原文にないことを書き足しすぎれば、それはもう翻訳ではなくなるからです。
差が出る文章、出にくい文章
もっとも、すべての文章で、人の手間がこれほどかかるわけではありません。
「いつ、誰が、何をした」を順に伝えるニュース記事は、もともと行間が少なく、AIの一次訳がそのまま使える部分が多くなります。製品のアップデート情報や、決算の速報などがそうです。
手間がかかるのは、論説やコラム、スピーチのように、書き手が読者に行間を読ませる文章です。英文が上手であればあるほど、行間は増えます。
AI翻訳で海外の論説を読んでいて、「意味は取れるのに、どこか頭に入ってこない」と感じたことはないでしょうか。それは翻訳の誤りではなく、行間が抜け落ちたせいかもしれません。
翻訳の問題は、片付いたのではなく形を変えた
「AIがあるのだから、翻訳の問題はもう片付いた」。そう考えたくなる気持ちは、よくわかります。単語の置き換えや文法の組み立てで悩むことは、確かにほとんどなくなりました。
けれども、翻訳の問題が消えたわけではありません。訳すことそのものはAIが速く正確にこなし、人は読み手として違和感を拾い、何を書き足すか、言い換えるかを決める。
翻訳の仕事は、片付いたのではなく、中身が変わったのだと思います。


