酔眼漂流読書日記

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動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡は「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」でも取り上げられている重要な概念です。
それは生き物が機械とは似て非なるものであることを簡潔に物語るキーワードです。

ただし本書は動的平衡そのものを論じた本ではありません(その目的には、「生物と無生物の間」をお勧めします)。
およそ10年前から雑誌「ソトコト」を中心に書き綴られてきた随筆に加筆編集したもので、むしろ福岡氏の生命観の原点とも呼べる内容となっています。

古典的な立場(DNA の世紀だった 20 世紀の立場)では、「生命とは何か?」という問いに対する答えは「生命とは自己複製可能なシステムである」というものが相応しかったかもしれません。しかし、目の前にある生命体は、それがいかにしっかりしたもののように見えていても、実は常に分解と生成を繰り返しているつかみ所のないものなのです。

私たちは学校で、「脳細胞は一定の分裂を終えると、あとは一生増えることはない」と教わります。目の前にある脳はなるほど、その生き物が生きている間、ずっとそこにあるように見えます。しかし、実際にはその脳を構成する分子は常に入れ替わっており、少し時間が経つとある時点に存在した全ての分子が新しい分子と入れ替わってしまうのです。

上位の構造は残っているのに、それを構成する物質は完全に入れ替わる・・・それなのに(多くの場合は)明日も私は私、あなたはあなたであり続ける事ができることは驚異的な話です。この事実を前に「生命とは何か?」という問いに答えようとすると、もっとも相応しい答えのひとつは「生命とは動的な平衡状態にあるシステムのことである」というものになります。

この観点から、遺伝子組み換えを代表とする、現代の様々な「生命工学」を眺めるとき、現在の生命工学が立脚する「機械的生命観」がいかに危なっかしい手探りの技術であるかが実感できるでしょう。

私たちはまだまた生命に対しては基礎的な知見を深めている段階なのです。それなのに「商売になる(あるいは人助けになる)」からと、安易に死の基準を変え生命倫理を変えて行く事の危うさも本書は静かに語りかけてくれるのです。