酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

単純な脳、複雑な「私」

とても刺激的な本でした。これほど面白い本は久しぶりです。

やはり傑作だった「進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)」や「海馬 脳は疲れない (新潮文庫)」といった以前の著者の著作に勝るとも劣らない知的挑戦状を読んだ気分です。構成は「進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)」に似通っていて、著者が高校生たちに最新の脳科学を講義するという形式で進みます。このため高校一年生程度の教養と知的好奇心があれば、なんとかこの講義にもついて行く事ができるでしょう。

本書のテーマは脳の嗜好、無意識の力、自由意志、自発性といった大変に哲学的な問題ではありますが、決して「こうあれば良い(願望)」を裏付けなく無責任に語るのではなく、筆者は現時点で判明している「こうなっている(事実)」という実験事実を積み上げて、その上で脳が発揮するにわかには信じられないような力を解説していくのです。

池谷氏自身が、超一流の脳科学者であり常に最新の知見に触れながら、自身も最先端の研究を実践しているために、本当にわかりたてほやほやの、まだ血が滴っているような文献も縦横に参照されています。もちろんその文献(大半は英語)を読まなければ理解できないという本ではありません。

驚くような脳科学上のエピソードを一つ紹介しておくと、脳科学の世界では既に「幽体離脱」を起こす脳内の部位が分っていて、そこを刺激することにより人工的に幽体離脱させることができるといったものがあります。
もちろんこれは霊魂が体を抜け出して・・・という話ではなく、脳を刺激されている人間自身が、まるで宙に浮き上がって自分自身を見下ろしているような認識にいたることがあるという事です。

すなわち、もともと人間は幽体離脱状態を自身で認識できるような能力を所有しているのだが、いつもは封印されているわけです。

哲学や芸術にかかわる人間の認識も、必要最小限この本に書かれていることを一度読んだ上で議論が行われれば、不毛な議論に陥ることがより少なくなるかもしれません。