酔眼漂流読書日記

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身もフタもない日本文学史

身もフタもない日本文学史 (PHP新書)

身もフタもない日本文学史 (PHP新書)

看板に偽りありません。確かに身もフタもない日本文学史です(笑)。源氏物語から説き起こし、その一見きらびやかな源氏の女性遍歴の裏に流れる骨太の物語(因果応報のの人生の定め)を取り出し、中国の歴史小説紫式部の高い教養の関わりを眺めたあと、貴族同士の短歌のやりとりは要するに今でいうところのメールのやり取りであると喝破し、男がエッセイを書けば最後は吉田兼好になり、対して女がエッセイを書けば最後は清少納言になると言い切ります。
ちなみに、吉田兼好になるとは、日本人の男性随筆家が最後にたどりつくところは、結局人生論にすり寄りつつ社会を嘆いて見せるということであり、清少納言になるとはなんだかんだ言っても(たとえ自虐的な筆致であったとしても)日本の女性随筆家は要するに「私はセンスが良い」ということを言いたいということである、という本当に身もフタもない意味なのです。
しかしこうした乱暴な割り切りも清水義範氏の手にかかってしまうと、半ば苦笑いしつつもなんとなく受け入れてしまいたくなる説得力があるから不思議です。

このあと井原西鶴をはじめとする江戸戯作文化に触れたあと(じつは私は井原西鶴についてあまりよくわかっていなかったので、大変興味深く読むことができました)、いよいよ明治の大作家夏目漱石を中心にした、現代に通じる文学の成立に触れ、最後に超特急でそれ以降の文学について触れて終わります。こうして俯瞰してみると、日本人の美意識の流れ、その発達の歴史が一望のもとに見えてくるような気になるから不思議です。

こうした意味で(真面目な方々から怒られるのを承知で書くならば)、この本は先にエントリを挙げた内田樹氏の「日本辺境論 (新潮新書)」と併せて読むと大変興味深いものなのではないかと思います。清水ファンには納得していただけるかもしれませんが、内田ファンには怒られそうですね。

ともあれ、清水義範氏の筆はいつも通り快調に走っています。高校までの日本文学史をカジュアルに振り返りたいときに気軽に手にとると良いのではないでしょうか。本書を読んで改めて紫式部夏目漱石の偉大さに思いを馳せました。読書好きの方にはお勧めです。しかし短歌のやり取りがケータイメールのようなものだとか、日本の男性エッセイはジジイの自慢話だとか書くと合格はおぼつかないので、決して大学受験には勧められないかもしれませんが(笑)。