酔眼漂流読書日記

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健全なる精神

健全なる精神

健全なる精神

呉智英氏の最新評論&エッセイ集。私たちの多くが、なんとなく当たり前だと感じている(感じたい)価値観や常識に対して、きわめて率直な「何故?」を突きつけて来ます。しばらく呉智英氏の本は読んでいなかったのですが、久しぶりに読むと目の前の霧が晴れていくような気持ちがしました。
それは原理主義的な息苦しさではなく、思い込みの霧を晴らし、新しく考え始めるためのきっかけとなるようなものです。
議論の方向性としては内田樹氏の著作と似通った「匂い」を感じますが、呉智英氏の本はいつも底流になんともいえないユーモアが流れていて、ともすれば煮詰まる方向に行きそうな議論を力を抜きつつ展開することに成功しています。

(2007/08/31 追記)

なお議論の姿勢には賛成できますが、論点そのものに賛成できるかどうかは別問題です。

たとえば呉智英氏は死刑廃止論者ですが、通常の人権擁護の視点からではなく、「国家による殺人はやめさせ、遺族による仇討ちを認めよ」という死刑廃止論です(笑)。
この説は随分昔から呉智英氏の著作には出てきますが、心情的にはなかなか面白いと思うものの、実際の運用を考えると現実的ではないし、問題がいたずらにこじれるだけだと思います。まあこの説は呉氏によるネタの一種なのかもしれませんけれど。

話は少しずれますが、死刑廃止論のバリエーションの一つとして「被害者遺族に最終的な死刑執行の可否を委ねればよい」というものを、複数の場所で見聞きします。被害者の遺族が「死刑にするまでもない」と思えるなら死刑を免除すればよいではないか、という考え方ですね。これも心情的には理解できますが、現実的な運用はほぼ無理だと思います。

例えば自分が OK をしたから一人の人間の命が奪われるという因果関係が明らかなとき。被害者遺族は冷静に「はい犯人を死刑にして下さい」と言えるのでしょうか。個人に負わせるには重すぎる責任だと思います。