酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

グロテスクな教養

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

現代人は「教養」という言葉を聞いて何をイメージするのでしょう。本書は「教養もしくは教養主義」の歴史を辿りながら、日本の高等教育とそこに居た人々の意識にも迫ったなかなか面白い本です。
日本においては「教養」は、永らく旧制高校帝国大学という高等教育の文脈の中で(すなわち「エリート養成システム」の中で)語られて来ました。難解な哲学も、晦渋な文学もこうした文脈の中で「己が単なる受験秀才ではない」ことの証として身に着けるべきである、という一種の脅迫観念と結びついていたという記述は、80年前後位までに大学を(特に所謂「上位校」を)卒業した人間にはなんとなく理解できる気分かもしれません。
また庄司薫の一連の小説(「赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)」など)が所謂「小説」ではなく、旧来の「男子如何に生きるべきか」の流れを汲む「教養論」であるという指摘には思わず苦笑してしまいました。
かなり嫌味な薫りもする旧来の「教養」ではありますが、しかし80年代中ごろの所謂「ニューアカブーム」を最後にこうした「教養」の幻影も今は消え去り、現代の価値観の主軸はきわめて単純なマネーゲームの勝敗*1に収斂しつつあるような気もします。とはいえ事態が決して良くなったような気はしませんけどね。

*1:「勝ち組負け組」というイヤらしい表現が象徴的です