酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

「私はうつ」と言いたがる人たち

精神の病の取り扱いはとてもデリケートで難しくなっているようですね。もともと「鬱病」に対する根強い偏見を是正しようとして、医療の側から適切な治療で治る病、誰でもかかる病、精神的なケアが必要な病といった啓蒙が行われたために、いまやそれが行き過ぎて多くの「カジュアルな鬱病」を生み出している現状を、精神科医として苦悩とともに報告している本です。

中に出てくる(ややブラックな)会話として以下のようなものがありました。こうしたやりとりのなかに、通常の疾病とは違う精神領域の病の扱いの難しさがにじみ出ているようです。

ベテランの精神医学者に、私(香山リカ)はなおも食い下がった。
「でも先生、どこかで私たちはうつ病かどうかをきちんと判定しなければならないわけですが、それはどうやればいいのでしょう」
するとその医学者は、ややいたずらめいた口調でこう言った。
「それはね、うつ病と診断してがっかりした人はうつ病うつ病と診断して喜ぶ人はうつ病じゃない、ということじゃないの」
これは、あながちただのジョークとは言えないかもしれない。

著者が警鐘をならすのは、そうした増大するカジュアルな鬱病患者たちの狭間で、本当に真剣な治療の必要な鬱病患者の手当が後回しにされている傾向です。特に大企業や役所は社会的な糾弾(の幻影)におびえて、本来鬱病として扱わなくてもよさそうなケースも、万が一に備えて休職を認める傾向にあるようです。しかし、これは長期的には組織にとっても休む側にとっても得にはならないのでは。。。というのが本書の主張の一つです。
こころの問題は本当に微妙で不思議に満ちています。しかしその扱いを単なる「鬱病か否か」のレッテル貼りだけで済ませ、その責任をいち精神科医に押し付けるという態度は社会的なモラルハザードの一因ともなるでしょう。もっとも自分がそうしたものに対して判断を下さなければならない立場になったとしたら、どうしても「安全」側に判断してしまうかもしれません。
そうしたことを避けるためには、公の場所での科学的な議論とその議論を踏まえた冷静な報道による社会的な認識の醸成が必要でしょう。