酔眼漂流読書日記

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奇跡を起こした村のはなし

奇跡を起こした村のはなし (ちくまプリマー新書)

奇跡を起こした村のはなし (ちくまプリマー新書)

新潟県黒川村は、豪雪と水害、過疎と出稼ぎにより地域の力が徐々に失われていく地方の寒村の典型のような村でした。1955年(昭和30年)のこと、この村に31歳の若い村長が誕生します。名前は伊藤孝二郎氏。
村長になった伊藤氏は国や県の補助金を巧みに獲得しながら、将来の村へ対する投資を開始します。多くの地方自治体に見られるような単に箱を作って足れりという、悪習に染まることなく、あくまでも事業として引き合うものを必死で考えながら、最初の開発に対して補助を引き出すという、本来の補助金制度の主旨に適った行動は、村内の農業畜産事業を振興し、地の利を生かした観光事業の開発と、村内産業とのエコサイクルを睨んだ「循環型自治」、とでも呼ぶべきものを作り上げてきました。
またこうした事業を推進するために、伊藤村長を頂点とする行政は、多くの村役場の職員を海外に派遣し、農業や畜産、ビール作りなどを積極的に学ばせ、多くの村営事業の現場の責任者として任命して実際の事業に果敢に挑戦させるという巧みな人材育成の仕組みをも作り上げたのです。これらのことは一種できすぎと思えるほどの、地方行政の成功事例の一つだと思います。
私が歴史的な皮肉だなと思うのは、こうした極めて共産主義的な手法に近いやりかたが、小さな日本の村で「成功」してきたということなのです。もしこれがもっと大きな規模の自治体だったら(すなわち県や国レベルのものであったら)、私たちの良く知る権威主義と官僚主義によって早晩没落は免れなかったのかもしれません。残念ながら黒川村を戦後50年近く指導してきた伊藤村長は2003年に亡くなりました、後継者は伊藤氏の片腕だった人物で、資質的には十分な人のようです。
ところで、現在進行する「平成の大合併」が黒川村というエコシステムを変貌させようとしています。2005年夏に隣の中条町と合併し胎内市となることが決定しているのです。このことが吉と出るか凶と出るかはわかりませんが、現在の黒川村の雰囲気が残っているうちに一度訪ねてみたいものだと思いました。
私は黒川村のやりかたが全面的に正しいと思っているわけでもありませんが、少なくとも行政に携るものの心構えや、その成功した行動事例の一つを鮮やかに示したものになっているとは思いました。