酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

自戒

ある本を読んでいたときのこと。その本は古今東西の薀蓄の詰まったとても面白い本なのですが、途中気になる記述が

「飲」という字を分析すれば、「食」に「欠」けたるもの、となる。飲みものは食べものと補完的な関係にある、ということを明確に示唆した文字といえよう。

…確かこれは違うような。ということで改めて「常用字解」をひも解いてみると、「飲」の左側は、昔は「今」と「酉」を重ねた字で「酉(酒樽)」に「今(蓋)」を重ねたもの、右側の「欠」は人が口を開けている形を表しているそうな。両方あわせて酒樽に向かって飲もうとしている人を表しているということになり、これから「飲」の意味が生まれたということです。
折角のそれまでの薀蓄話も、この部分を読んでから何割かは割り引きたくなった次第。誰しも自分の専門以外のことについて述べるときには筆が滑りがちになります。まあ私も自らの所業を考えれば、偉そうなことは言えないので、もって他山の石と自戒の材料としております。<トラックバックをいただいたので追記>
上記「常用字解」にも、現在の「欠」という字は、「かける、不足する」という意味の「缺」の常用字形と、もともと「あくびをする」という意味の「欠」が一緒になって使われており、両者は何の関わりもない字であると明記されていますね。