酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

永遠の0 (ゼロ)

永遠の0 (ゼロ)

永遠の0 (ゼロ)

司法試験浪人を重ね、やや人生の目的を見失い気味の20代半ばの男性主人公と、フリーライターであるその姉が、家族内にほとんど逸話が残されていなかった実の祖父のひととなりを、当時の同僚の軍人たちを訪ね歩いて聞いていくというストーリーです。

現代の姉弟のシーンと、実際に話を聞いているシーン(そのときの話者の視点で語られる)が交互に描かれて、最初はっきりしなかった祖父の姿が段々と浮かび上がって来ます。

その祖父は臆病ものと言われるくらい慎重でありながら、同時にゼロ戦の戦闘操縦に優れた人物でした。興味深いのは、当時の軍人としてはあるまじき台詞 - 「生きて家族の元へ帰りたい」 - を口にする祖父が一種のリトマス試験紙となり、当時の人々の悩ましい感情を浮き彫りにしてくことです。証言者の言葉は重く、戦闘の悲惨さは細かいリアリティを積み上げる描写で胸に迫ります。こうした部分は、複数の戦記証言を目の前で連続して聞いているような気にさせてくれます。

こうした部分はとても面白いのですが、一方現代の方の描写はいただけません。登場人物たちの反応がなんだか「薄くて定型的」なのです。しかし、実はこうした対比は作者の計算なのかもしれません(現実をリアルに生きていた戦時中と、現実がふわふわと捉えにくいものとなった現代の対比)。まるで、安易な感動をさせまいとわざとしょうもない描写にしたのだ…と考えるのはやはり穿ちすぎかもしれませんが(笑)。

しかし小説としての完成度、構成の効果はともあれ、途中の証言者達の部分は戦争の悲惨さを語り継ぐものとして読む価値があると思います。やや厚めの本ですが週末読書にお勧めしておきます。

なお、途中少し興味深かったのが、昨日紹介した 盤上のアルファ にも出てきた囲碁と将棋の勝負観の違いです。将棋はどんなに劣勢に見えていても、結局は王さえとれば良いので、一点突破での逆転も可能ですが、囲碁は常に全体に目配りをしていかなければならない。本作にはこうした(何を犠牲にしても最後は王さえとればよいという)将棋的「神風一発逆転主義」が旧日本軍を覆っていたのではという示唆が出てくる箇所がありました。
(まあもちろん将棋だって全体への目配りは必要だとは思いますが、個人的にも囲碁の方が「大局的」な取り組みが必要な感じは受けます)。