酔眼漂流読書日記

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マグネシウム文明論

マグネシウム文明論 (PHP新書)

マグネシウム文明論 (PHP新書)


3月11日に起きた震災は津波と共に未曽有の被害を東北地方太平洋岸にもたらしました。亡くなられた被害者の方々のご冥福をお祈りし、残されたご遺族の方々に心よりの哀悼の意を表します。

本来全力で進められるべき救援と復興が、続けて発生した原子力発電所の深刻な事故により影響を受けていることは残念でなりません。

いまこそ真剣に原子力の「次」のエネルギー源に注目すべきときでしょう。
もちろんこうした研究はさまざまなものが進められています。太陽光発電や、燃料電池風力発電、バイオエネルギーなどなど。今回はこうした代替エネルギーの中でもひときわ異彩を放つ「マグネシウムによるエネルギー循環社会」について書かれた本を紹介したいと思います。

ここでご紹介する「マグネシウム文明論」は、新しい発想により「マグネシウムを媒体として使ったエネルギー循環社会」のビジョンを明快に描き出した良書です。いまだからこそ本当に多くの人々に読んで欲しいと思います。

もちろん実用化に向けての課題はまだ残っていますが、ここで展開される壮大な構想はその一部だけでも実用化されるだけで、大きな福音を人類にもたらす筈です。そして実際にその一部の実用化(事業化)は昨年位から順調に立ち上がり始めてもいるようです。

本書で描かれる「マグネシウム循環社会」のビジョンの凄さは、その「システムとしての抜かりのなさ」にあります。単に化石燃料の代りにマグネシウムを燃やそうというだけではなく、マグネシウムを採取し、精錬し、利用し、そして再生して、再利用する過程がすべて構想の中に組み込まれ、そのそれぞれのステップが皆環境負荷の少ない手段で組み立てられるように考えられているのです。

これまで原子力発電はその高い効率性と化石燃料を使わない「クリーンさ」に着目されて(正確には着目されるように情報の流れが歪められて)その開発が推進されてきました。しかし今や原子力発電は、システムの議論は「明るい部分だけを取り上げていてはいけない」という教訓を世の中にはっきりと示すこととなりました。

私の知るソフトウェアの開発でもありがちですが、多くの技術的議論は「開発/適用」するところの華やかな効率性や先進性だけを考えた議論に偏りがちです。大規模なシステムを構築する場合その「開発」の過程には多くの人とお金と注目が集まりますが、開発されたシステムが対象の世界に組み込まれ、実際に保守を継続しながら運用されていく部分は「地味」ということもあってそれほど議論になりません。特に耐用年数が数十年にわたるシステムは、システムを発案構築したひとびとがその最後に立ち会うことがないこともあり、その最後をどのように締めくくるかに関して「先送り」されている場合が多いような気がします。よく聞く議論は「このXXが耐用年数に達する頃には効率的な廃棄/保守技術が開発されているに違いないから、今はこの『画期的』な技術の開発を推進しよう」というものです。

しかし、今回の福島原発事故は、この保守(修繕したり、改良したり、廃棄物を始末したり)する部分のコストが本当に膨大なものになることを、多くの人達の目の前に示しつつあります。単にお金がかかるだけではなく、自然環境や人命といった、お金には換算しにくいものの犠牲もどこまで広がるか予断を許しません。

原子力発電技術は大きな曲がり角を迎えました。既存の原発たちも安全性に関するチェックを徹底し、事故の再発防止に努めながら、代替エネルギー開発に徐々に道を譲るべき潮目に来ていると思います。

マグネシウム文明論」は 2010年初頭の出版です。出版されたときには、著者たちもまさか 2011 年にこのような事態に至っているとは思いもよらなかったと思いますが、ここに述べられた議論と基礎技術の重要性が、いまだからこそますます認識されてしかるべきだと思います。

なお、こんなに筋のよい研究なのに、なぜか日本では不遇の日々を過ごして来たのが不思議ですが*1、そのことによってビジョンに賛同した中小企業が結集してさまざまな関連技術開発を行うネットワークが構築されています(下手にメジャーになっていたら、大企業が真っ先に参入して来ていたことでしょう)。関連技術の中で最も実用化が進んでいるのが、海水からマグネシウムを取り出す際に必要となる「淡水化技術」で、実はこれだけでも独立したトピックとして大変高い価値があるものです。もちろん既存の電気分解逆浸透膜法に比べてはるかに省エネルギーの優れた手法なのです。飲料水のための淡水化需要は世界的に多いので、この技術を用いた事業でお金を稼ぎつつ、他の基礎技術(レーザー技術)の開発を自力で進めることができるような体制が整いつつあります。これもまた素晴らしいエコシステムだと思います。

堅苦しい感想になってしまったので、別の側面も。

この本にはなんだか世の中が 20世紀に忘れてきてしまったような、科学へのワクワク感が詰め込まれていると思います。理科系離れという言葉がさかんに囁かれてきた今日この頃ですが、これを読んだ若い人たちの中に科学技術に夢を持ち自ら挑戦してくれるひとたちがより沢山生まれると素晴らしいことだと思います。

*1:実はそうなった理由は想像できます。「日本オリジナル」だからでしょう。海外で認められるまでは日本人はなぜか国内の優れた技術を認めようとしません。プログラミング言語 Ruby も海外でブレークするまでは、決してメジャーとは言えませんでした