酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説ですが、他のミステリものとは全く違う作風です。

大学で工学を専攻し、今は助教授という立場になった主人公が、主に卒論から大学院の生活を振り返るという視点で書かれています。事件らしい事件も起きず物語は淡々と進むのですが、学生の主人公が徐々に「研究」というものの意味を理解し、自分の役目を自覚していく過程は、特にこれから大学院などに進んで研究者の道を歩もうと思っている全ての若い人に読んで欲しい内容だと思いました。

この主人公を実質的に指導するのが、助手の「喜嶋先生」なのですが、実力は世界的に認められているものの、おそらく学問へののめり込みがあまりにも激しく、学内政治にも疎いために「助手」をなかなか抜け出せないという人物として描かれています。

読み物としての面白さは、この喜嶋先生が語る、我が道をいく「正論」にもあります。
「学問に王道なしですよね」という主人公に対して、「歩きやすい近道という意味の王道はないが、一方、学問には(ただ科学の道を真っ直ぐにすすむ)王道しかないのだ」などと答えたりします。

主人公は森博嗣さんの自己投影ではと思わせる部分もありますが(それゆえに「自伝的小説」とも呼ばれるのでしょうけど)、実際にはご本人の経験と、大学で研究をすることの意味を考え続けた結果が織り混ざられたものなのでしょう。

主人公は「王道」を突き進む喜嶋先生の生き方に大きな憧れを抱きつつも、結婚をし子供が生まれ、助教授になるという過程で、だんだんと純粋な研究三昧からの生活から遠ざかって行きます。たった一つの微分方程式を一日中眺めて過ごすことができた研究の日々を懐かしく思い出しながら、小説の最後の部分はほとんど主人公の自分へ対するモノローグとなり、喜嶋先生のその後のあまり成功者とは言えない運命に含みを残しつつ、静かに幕が下ろされます。

単純に研究を志す若い人への「前向きな教育効果」だけを考えるなら、この最後の数ページは不要なものでしょう。しかし、森博嗣さんはどんな人でもその先に待ち受けるかもしれない単純ではない人生もしっかりと描いて置きたかったのだと思います。研究という職業を選んだとしても、それは単なるファンタジーの世界の住人である続けることではないということを。