酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

任天堂 “驚き”を生む方程式

任天堂 “驚き”を生む方程式

任天堂 “驚き”を生む方程式

最初の方を読むと「Wii や DS の成功の秘密」に関するありがちな分析かなと思わせるのですが、後半に向かって任天堂の「文化」が作られて来た過程を、幾人かのキーパーソンに光をあてながら遡ることにより、要領よくまとまった任天堂120年史のようなものになっています。
まあその意味では、下手をすると任天堂社史を読んでいる気にさせられるかも知れませんが(笑)、登場人物を絞りこむことによって散漫さを感じさせないようになっています。
主要な登場人物は、現在の2枚看板である岩田氏(社長)と宮本氏(取締役)。そして京都の花札屋を世界のエンターテイメント企業に転換させる立役者の横井氏(故人)、そして横井氏にチャンスを与える決断を行ったり、勇退して岩田氏に道をうまく譲り今の隆盛を作り出した「直感の人」山内氏(前社長、三代目)。最後に創業当時の社会状況に僅かに生まれたチャンスを生かし花札屋を始めた初代山内氏(創業者、一代目)といった人たちです。
本書を読むと任天堂はメーカーでありながら、それ以上の価値がソフトウェアにあること。すなわちこの企業の場合「娯楽」という領域にかかわるソフトウェアであることをよく理解している、日本では珍しい会社であることがよくわかります。より正確に言えばソフトウェアそのものも手段に過ぎません*1
一番高い目標に「娯楽」の提供があり、それを実現するための仕掛けとして、ソフトウェアがありハードがあるという発想です。これは簡単なようでなかなか保持するのが難しい態度なのです。普通会社がある程度大きくなってしかもそこそこ成功してしまうと、ハードのチーム、ソフトウェアのチームはそれぞれの縄張りの中に閉じこもろうとし始めます。もちろんそれぞれは研鑽を積んで優れたハードやソフトを生み出そうとしていますが、その過程の中でそもそもの目的(この場合は「娯楽」)がないがしろにされがちになります。しかしそれは勿論長期的には企業全体の疲弊を招きます。
任天堂はこうした社内セクショナリズムの発生を、経営陣がはっきりとメッセージを発することによってなんとか回避してきたようです。これは強いカリスマ性を発揮するスティーブジョブス氏が率いるアップルと共通する性質と似ている印象があります。その意味で逆にアップルは任天堂の遺伝子をもっと注意深く分析すべきかもしれません。

*1:ちなみに日本のメーカーでは、ときおり「士農工商メカエレキソフト」という言葉が聞かれます。これはメーカー内のソフトウェアの地位の低さを自嘲的に述べたものであり、これだけソフトウェアの時代と言われても、メカ=ハードが強いままという状況を端的に表している言葉です。しかしそう言いながらソフトウェアの側もそれ自身が目的化してしまっている場合もありそうです