酔眼漂流読書日記

本と音楽と酒場と言葉

頭のいい段取りの技術

頭のいい段取りの技術

頭のいい段取りの技術

知り合いの中学の先生と話していたら、あまりにも教科を教える時間が逼迫していて結果的に何もかも中途半端になってしまっている(例えば国語は週に3コマしかない)ということを聞きました。そうなる理由の一つがいわゆる「総合的な学習の時間」の存在であることは明らかなのですが、これは話を聞くだけでも、理想と現実のギャップに教育現場が苦しんでいることが容易に想像できるような内容だと思いました。
たとえば小学校ではその趣旨とねらいは以下のように定められているそうです。

  • 「趣旨」
    • 総合的な学習の時間においては、各学校は、地域や学校、児童の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や児童の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする。
  • 「ねらい」
    • 自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
    • 学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。
    • 各教科、道徳及び特別活動で身に付けた知識や技能等を相互に関連付け、学習や生活において生かし、それらが総合的に働くようにすること。

これらは美しい「理想」であり、教育の目標とされることに異議はありませんが、それを直接実装する手段として「総合的学習の時間」があるというところに無理を感じてしまいます。この理想は教育全体で目指すべき効果であって、一部の教科だけで達成できるものではないでしょう。

ということで仲間内の雑談では、しばしば冗談のように「小学校では『読み書きそろばん』だけ徹底してやれば良いのでは?」といった話をしたりもするのですが、この本を読んでこの「冗談」にひとつ付け加える必要があるなぁと思いました。そうです

読み書きそろばん、そして段取りの力

です。単に教科を学ぶだけなら学校に行く必要はありません。自宅で家庭教師についたり、自習したり、勉強だけが目的の塾に行っても同じ事でしょう。しかしわざわざ学校に行くという事は、ひとと付き合うことを練習するという大切な意味がある筈です。クラブ活動や班活動を通して大なり小なり子供たちは「プロジェクト」に参画しそれを協力して遂行する術を学びます。

そこに必要なのが「段取りの技術」です(やっと本の話につながりました。段取り悪し(笑)私も本書で更に研鑽する必要がありそうです)。本書でも述べられていますが、「段取り」とは協力相手とのやりとりを通して全体の流れを乱さないようにするための心配りの技術でもあるのです。本書では「段取り」の社会的な意味も説明し、かつ実践しやすい具体的なテクニックも披露してくれますので、基礎から応用までをカバーする実用書としても価値は高いと思われます。

もちろんこの本は小学生中学生自身に読ませるのは少し難しいと思いますが、少なくともそれを指導する教師側はこうした内容を理解し身につけて、「読み書きそろばん」に加えて、折に触れ「段取りの技術」を指導できるようになっていて欲しいと思いました。ここでは学校教育の話と関連付けて感想を書きましたが、本書で述べられている技術は、全ての社会人に役立つものだと思います。

「段取りの技術」は、最近の流行言葉で言えば「ライフハック」の一種ということになるのでしょう。
最近ライフハック系の本はとても多くて、どれを読めば良いか迷いますが、本書は類書の中でも最もわかりやすくかつ実用的なものの一つだと思います。